コリント人への手紙第一 7章

コリント人への手紙第一 7章
=本章の内容=

❶婦生活とは何か❷独身でいることについて➌夫婦の離別について❹召されたときのままの状態で➎時は縮まってい

=ポイント聖句=

奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。(7:22)

=黙想の記録=

●当時コリントは一代商業都市で人口約60万人。奴隷はそのうち40万人いたと推定されています。商売繁盛を願う商人たちの為、御利益宗教が蔓延しており、その門前町には、遊郭が軒を連ねていました。これらは、商用でコリントに訪れる人々の為であり、男性にはとても誘惑に満ちたところでした。多くの女性奴隷は性風俗に利用されていました。日本でも商用で訪れる人々の為、大都市ほど歓楽街が多いのと酷似しています。ただ日本の場合性風俗の身を置く女性は手っ取り早く稼ぐ場所になっています。これも「金銭欲」という偶像礼拝を信奉しているのと同じなのです。
●イスラム教では婚前交渉はもってのほか。そればかりか、生活の場も分離されるほど徹底して、男女間の接触を禁じています。異性どうしが身体を接触することはおろか目を合わせることも禁じられたいます。これはイスラム教では「人はシャイターン(サタン=悪魔)による誘惑に弱い」との教えから来ています。このような意味からすると、ユダヤ教やキリスト教はよりぬるい倫理観のようです。
●コリントは他宗教の混在していた都市です。これは古代ローマの融和政策のためでした。おおよそ文化文明の発展はかえって倫理観を低下させるものとはいえないでしょうか。コリントの信徒に向けて、「性的欲求を抑えられる人とそれができない人が存在する」とパウロは容認しています。これは逆に言えば、「結婚が貴ばれていない」ることになります。
●「自由恋愛」は時として、感情だけが燃え上がり、神様の御心を見失わせることがあります。基督者は結婚について自由に決断ができます。しかしより多くの他の信徒でも納得できる「主の御心なら」という条件付きであることをお忘れなく。