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コリント人への手紙第一 6章

コリント人への手紙第一 6章
=本章の内容=

❶教会内での紛争❷神の国を相続できない者たち➌買春をする信徒

=ポイント聖句=

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(6:19)

=黙想の記録=

●5章では近親相関が、本章では買春が取り上げられています。また主にある兄弟間の紛争問題を外部の人間に解決を依頼する問題も取り上げられています。また、「救われた」と言っておきながら、公然と犯罪行為をする者は神の国の相続者とはならないと断言しています。5章で取り上げた通り、これらは古い人(救われる以前から)の悪習が依然として残っているのが原因です。「盗む・略奪する」以外は「公序良俗(民法第90条)」に抵触しない限り。現在日本でそれらを罰する法律はありません。これらを指摘し嫌悪感を持たせるのは「良心」です。残念ながら人は生まれながらの罪人です。したがって悪事は習わなくても自然にできることですが、良心は育てられないかぎり持てるものではありません。この良心は家庭環境や社会環境によって養われることが多いものですがベストな環境は、ほぼ皆無です。ところが、この良心は、相対的なものでもあるので、ある環境では絶対許されるものではないものでも、ある環境ではそれを良しとしてしまうことがあるのです。「良心=道徳」はこの世の基準なのです。
●基督者はこの良心の世界(道徳)に左右されません。もっと高い基準「御霊の実」というスケールによって行動するからです。そして御霊は「イエス様に倣う者」となることを常に目標としているのです。しかし、基督者が御霊を悲しませる悪習を捨てようと思わない限り、御霊の実は生まれません。自然の成り行きで御霊の実は持てないのですそこでお勧めするのが、使徒たちも勧めている通り、主にある兄弟姉妹と「互いに罪を告白しあう」ことです。またそうした個人的な話ずらい問題を言い合える人間関係を構築する努力が必要とされます。不一致のあるところで御霊は働くことができません。逆に言えば、固いきずなで結ばれた主にある兄弟姉妹との結びつきがあるところにこそ、その働きが始まるのです。