コリント人への手紙第一 5章

コリント人への手紙第一 5章
=本章の内容=

❶古いパン種を取り除きなさい❷教会内の秩序維持のため

=ポイント聖句=

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。(5:7)

=黙想の記録=

●古代ユダヤでは、パンを焼くには、発酵したパン生地を取って置き、次回作る時は、発酵したパン生地の一部を新しい粉に練り込みました。それを再発酵させて膨らました物を焼きあげるという方法をとっていました。これをパン種と呼んでいました。つまり、パン種は練りこまれる前の生地ですでに発酵していたのです。基督者で言えば、救われる前から持っていた悪癖とでもいえるでしょう。過ぎ越しに使うパンはこのパン種を入れていないパン生地で作ります。ですから、膨らむことはありません。
●品行、貪欲、略奪、偶像礼拝という種はすでに人を介して育まれ、人の中で膨らんでいます。もしこれが教会と言う生地に練りこまれたら、教会はたちまち、世俗と同じになってしまうのです。コリントの教会の混乱は、このパン種に対する曖昧な対応でした。しかし、「パン種を取り除け」というパウロの勧告は、実行に実に痛みの伴うものでした。なぜなら、交際を絶たれる人は、教会の中心的存在であったり、いつも周りを和ませる人であったり、積極的に人助けをする人であったり、あるいは社会的にも認められていた人だったからです。言葉を交わしていた兄弟姉妹でもあったからです。
●ところで、コリント教会の場合、不品行、貪欲、略奪、偶像礼拝とは、他の信徒が見ているところで平然とされていた行為でした。では、だれにも見られていなければ、形だけ信仰の純真純潔を装っていれば良いのでしょうか。金銭を愛し頼ることは「偶像礼拝」と、この世の栄達を求めることは「貪欲」と、相手をののしり陰口を言って回るのは、相手の生活を脅かすのと同じ「略奪」と、アダルト動画を見ることや様々な風俗店に通うこと、さらには不倫行為は「不品行」とは言わないのでしょうか。教会が処罰する前に、教会の中に、ひとりでも、こうした違反行為をしているのなら、正しい裁きはその教会にはできません。
●未成熟な教会では、「トカゲのしっぽ切り、問題児を切り捨てる」だけにとどまり、教会全体の痛み悲しみとならないことが多いのです。かえって問題を起こした信徒を切り捨てることに爽快感を覚える指導者さへいるのです。つまり、教会全体の悔い改めにはならないのです。こうした教会を「欺瞞団体」と呼びます。また、こうした教会では、「交際を絶った兄弟姉妹を放置しておくこと」が最善の処置と思い込み、「一緒に問題解決をしようとする努力」などどこにも見当たらないのです。
●コリント人への手紙第二には、パウロの勧告で処罰された兄弟姉妹が確かにいましたが、同時に教会のケアで立ち直ることのできた兄弟姉妹も多くいたのです。解決には、解決者となる兄弟姉妹に苦痛を伴わせるものです。しかし、失われた一匹の子羊を取り戻すことができれば、教会は大きな喜びで満たされることができるのです。