化けの皮が剥がされるとき

2024年6月29日

《なるほどThe Bible》2021/10/31
=化けの皮が剥がされるとき=
【参照聖句】「私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。(コリント人 第一3:10)
だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。(コリント人 第一3:12~15)
💙40年前、この箇所を教会リーダー(長老)は、「主の日(キリストの再臨時)において信徒各人の真価が試される。ゆえに的を得た熱心な信仰をもって歩むべし。」と教えていました。このグループでは今でも「熱心な信仰=伝道の成果・証の影響力・献金の多さ」とクローズアップして教えているようです。優しい言い方に替えるなら「自分の行ないは、神様を喜ばせているかどうかを自問自答していきなさい。」私はこのリーダーのメッセージにとても違和感を感じていました。なぜなら「伝道の成果・証の影響力・献金の多さ」ならば、可視的な尺度でこの世の物です。「論功行賞のようなことをイエス様はなさるだろうか」という違和感です。こんな教えの中で育てられれば、競争心は醸成されても、クリスチャンの特質である「仕えあう」精神は生まれてきません。さらに「リーダーに隷属することが正しい信仰である」と思い込むようになるのです。
💚ここは「誰に向かってのメッセージ」なのかを理解していれば、こうした間違えた結論には至らないはずなのです。コリント人への手紙第一3章は、分裂・分派に対するもので、この状態を引き起こしてきた張本人たちへの戒めです。パウロ等の使徒たちの同労者を装いながら、結果的には「自分に隷属する信徒を作り出し、金品を巻き上げようとする偽の働き人」への警告の箇所です。
💚土台を据えたのはパウロです。ここで指摘されている「ほかの人」とは「信徒各人」のことではなく、「神の家」つまり「地方教会」を建設しようとする「リーダーたち」のことです。このリーダーの教会建設の様子がここに描かれているのであって、信徒個人の信仰云々を言っているのではありません。では「金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てる」とは何を指しているのでしょうか。
💙「金、銀」は熱い火によって精錬されなければ純粋な金属にはなりません。教会も精錬されなければなりません。しかし種々の問題が起きた時、自らの手を汚すのを厭い、問題解決を自らの責任に課すことをせず、信徒に責任転嫁するようなことがあるのです。
💙宝石は道端に落ちてはいません。硬い岩石から宝石を見つけ出し、磨き上げる努力をして初めて宝石となるのです。信徒の中で自分の意に沿うものだけを身内と呼び、問題行動を起こす信徒を次から次へと切り捨てるようなこと、あるいは最初から受け入れを拒むことがあるのです。
💙逆に、木、草、藁の様な軟弱素材、つまり「一過性の情熱だけを鼓舞するイベント(特別集会・特別講義など)」を多用し、教会を建設しようとすることなのです。
🔺こんな教会建設をするのなら、主の日を待たずして、「教会は瓦解・もぬけの殻」となるのです。またそうでなくとも主の日にはその化けの皮が剝がされるのです。