コリント人への手紙第一 1章

コリント人への手紙第一 1章
=本章の内容=
❶挨拶❷一致と仲間割れ➌神の知恵であるキリスト
=ポイント聖句=コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。(1:2)
=黙想の記録=▲パウロとソステネからコリントの教会へと宛てられた手紙です。パウロはマケドニアの諸教会を廻った後でコリントへ行く予定でした。この手紙はコリントの教会で起きている「分裂問題」「性の乱れの問題」について、その原因と解決方法を伝えています。ところがこのコリント人への手紙第一が一部の信徒の反感を買うことになり、さらに混乱が起こります。コリントに赴いたパウロは、大変厳しい処置を使徒として断行しますが不調に終わります。その為にさらに第二に手紙を送る必要があったのです。教会は聖人君子の集まりではなく、欲望と欲望のぶつかり合いの共同体であったのです。
▲手紙もメッセージも文頭での掴みが重要です。パウロは「コリントの教会」とは言わず「コリントにある神の教会」と使い、教会が個人や特定の集団の物ではなく、不可視的な教会、さらに聖霊が支配する神の物であることを強調します。
▲パウロはコリントの信徒たちが、「知識に富み、賜物に欠けるところがなく、熱心では並ぶものがない」とまで言っているのですが、それでも紛争が起きるのです。それは、信徒たちが「自分は誰よりも強い。」と勝手に思い込み、この世の尺度をもって、人を測ることしかしなかったからです。さらに競争社会を教会に取り入れ、「NO1を目指す人」になることを煽っていたからです。また、他者に仕えられることには快感が持てますが、他者に仕えることは不快なのです。「主にある兄弟姉妹の為に仕える」ことなしに、「兄弟愛」を語る資格などないのです。またどんなに華々しい活躍ができても、神様の前には「うるさいシンバル」なのです。もし、教会に霊適覚醒が起きないのなら、それはコリントの教会の域を超えていないからではないでしょうか?