空手還郷・眼横鼻直

メッセージ

お元気ですか。SHLのKernelTenderです。
本日のお話のタイトルは「空手還郷・眼横鼻直」
■曹洞宗の開祖道元は鎌倉時代初期の禅僧です。中国での修行を終え帰国した直後、弟子から「中国ではどんなことを学んできましたか」の問いに「空手還郷=何も持たずに帰郷したのです」と答えましたが、その答えに満足できなかった弟子に対し、道元は「眼横鼻直(目は横に並び、鼻はまっすぐ下を向いている)」と答えを続けたそうです。つまり「当たり前のことを当たり前に学んできた。」ということです。袈裟で風を切りふんぞり返っていた当時の僧侶からすればだいぶ謙虚な物言いに聞こえますが、ひょっとしたら、中国で「無知の知」を説いた例の哲学者の哲学書に出会ったとかはないのでしょうか?道元が馬小屋で出生したという伝説もあるくらいですから、中国でキリスト教にも影響されたかもしれませんね。
■先日、浄土真宗の僧侶の方と二時間近くも懇談させていただく機会に恵まれました。開口一番「開祖の歴史性」の話で「ブッダはイエスより先に生まれている」とのおっしゃられるので揚げ足をとるようで大変失礼かとはおもったのですが、「先生。ユダヤ教の説く『ヤーウェ』の神がキリストのことですから、ブッダ誕生よりもはるかに歴史をさかのぼることになりますよ」と切り返させていただきました。さらに「天国」の存在について話がすすみました、彼はこんな面白いことをいうのです。「基督教の説く天国は永遠に生きるという場所ですよね?永遠に生きて何が楽しいのでしょうか?苦楽があるから人生面白いんでしょう。輪廻があるからアクセントが付くんじゃないですか。」
自らの僧侶への歩みも証してしてくれました。ところが、その経歴の内容から察すると、ほぼ順風満帆な生活をしてこられた様に思えてなりませんでした。この僧侶の方が、幸か不幸か、この世の中で本物の地獄を見てこなかった、あるいは地獄のような体験をした方々に出会うことさへ無かったのではないかと思わざるを得ませんでした。この世の地獄のような生活から解放されたいと思うのは、また、不自由な身体から解放されたいと願うのは、天国が、苦しみも悲しみもまた涙を落とす必要のない場所であると切望しているからではないでしょうか。そしてそんな願いを全世界の方々が持っていることがそもそも天国があることの証拠にはならないでしょうか?
▲こんな話をすると、仏教界の非難をしているようになるかもしれませんが、あえてお話しさせていただきます。現在お坊さんを呼んで、葬儀の読経をしてもらったり、戒名、法名とも言いますがこれを頂くだけでセットで、最低でも20万円をお布施として渡すのだそうです。(むろんこんな法外な金銭を要求するお坊さんばかりではありませんが)。つまり、一文無しになった地獄のような苦しみを体験した方々には、坊さんは呼べませんし、坊さんはこうした方々に到底出会うことさへないのが現実なのです。しかも、「あなたの現在の苦難は前世が影響している」などと言われれば、ますます苦しみのどつぼにはまることになるということには、気が付かないようです。この僧侶の方との会話は「人間には人間を理解することは到底できない」「神なしに本物の永遠を知ることはできない」ということを再確認した時でもありました。
■先日私のフェイスブックにこんなコメントを送ってくださった方がおりましたのでご承諾を得て、ここで使わせていただきますね。ではお読みしますね。
「私事ですが、日蓮宗の小学校を出て、公立中学校時代は禅宗について子供なりに調べて、禅宗(曹洞宗)の高校と大学を出て、大学では仏教学は2年連続 優を取りました。
結局、「救いがない」そして「救いという概念自体がない」ことだけがはっきりわかりました。
一般教養では原始仏教(チベット仏教を学びましたが、「輪廻など、ない!」というのが本来の仏教だったようです。あれ?仏教って、輪廻輪廻言うはずだよね??と思わずにいられませんでした。
つまり、矛盾だらけなのです。
非常におびただしい数の経典があり、全部を読める人などいません。
その点、聖書は本当にシンプルで、たったの一冊で救いと真理がわかりますね!」以上です。
実際のご経験から結論付けられたことなので、とても説得力があるコメントでした。最後の「仏教では非常におびただしい数の経典があり、全部を読める人などいません。その点、聖書は本当にシンプルで、たったの一冊で救いと真理がわかりますね!」には実感がこもっていますね。
★この聖書が何をテーマとしているかといえば、「十字架」です。そして「神なしの人生からの解放」なのです。
「遠くにいてふんぞり返って眺めているだけの神」は神ではありません。「修行や学問をしなければ見つけ出せない救済方法」は本物の救いにはなりません。「私に寄り添い人生の重いくびきを一緒に負ってくださる方」こそ本物の神です。「子供でも十分理解できる救いの道」だから、だれでも救いを経験できるのです。
★イエス様は、非常に不安定な世情で、しかもマリヤやヨセフの様に極貧の家庭にお生まれになりました。そして33年の短いご生涯は、人間の艱難辛苦を味う人生そのものでした。さらに十字架に掛けられて命を落とす不遇の最後になんの魅力があるのでしょうか。でもこの苦しみに満ちた人生や、恥辱に満ちた十字架刑があるからこそ人類全体の救いが完成したのです。
★紀元前700年に活躍したイザヤという預言者が、ユダヤに生まれるメシヤつまりキリストの、この世での苦難の様子と十字架刑の意味を預言しいる箇所があります。その個所を読んで本日の締めくくりといたします。

聖書から抜粋

「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たえれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

イザヤ書53章3~5節

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