犠牲を強いる神々

2024年7月6日

SHC通信2023/09/30
若葉マークのキリスト教
お元気ですか。SHLのKernelTenderです。
今回のお話のタイトルは「犠牲を強いる神々」です。

●2016年にアメリカとペルーの共同チームがペルーの北部沿岸地域で140人以上の子供と200頭以上のリャマの骨が発見しました。放射性炭素を利用した年代測定によりこれらは西暦1400~1450年のチムー王国ものであることが明らかになりました。子供たちの年齢は5歳~14歳で平均年齢は10歳と推定されました。子供の骨にもリャマの骨にも胸骨の切断と肋骨の脱臼の痕跡が見られ、胸部を切開して押し広げ心臓を取り出した痕跡がありました。これは明らかに生贄の儀式の跡です。アステカ、マヤ、インカ文明には人間を生贄としてささげる風習があったのは以前から知られていました。ところが子供を犠牲にしているこれほどの規模のものは世界的にも類例がありません。この生贄の儀式を行うに至った理由を研究チームは次の様に推測しています。発端は異常気象による災害の数々でした。
①ペルーの海岸地域は基本的に乾燥しているが、当時この地域はエルニーニョによる異常気象に見舞われて、頻繁に洪水が起きていた。
②海水温上昇により魚が極端に獲れなくなっていた。
③農業用の運河も海岸地域の洪水により破壊されてしまったため農業に相当のダメージがあった。
④儀式的な殺人は超自然的な力をもつ神々とのと交渉手段で、生贄を捧げることで異常気象を収めさせるためだった。
●16世紀の日本でもこの生贄の儀式は各地で行われていました。「人柱」と称して城・橋・堤防などの困難な工事にあたって災害を引き起こす神々の心を和らげるために生贄として大人や子供を水底、または地中に生き埋めにしていたという記録が残っています。日本は風水害の多い場所です。そのためこの自然の脅威に対処する方法を知らない人々にとって「人身供養=生贄の儀式」は最良の対応策と思えたのです。台風、大雨、地震、雷などのように、人間が立ち向かえない自然の脅威を昔の人々は「神々の怒り」と決めつけていたのです。
●日本人を始め、世界の人々は「自然の脅威」は「神々の怒りの結果」であると決めつけ、その怒りをなだめるために犠牲を払う儀式が信仰となり、その信仰の共通項がやがて大規模な宗教に発展していったと言えるのです。科学技術や医療技術では世界の先頭集団にいるはずの日本です。ところが現代でも正月に神社仏閣に参詣する人々の総数は約9900万人、全国民のおよそ8割になります。普段は「神も仏もあるものか」と強がりを言っておきながら、こうした神社仏閣に参拝に行く日本人の姿は、世界の人々からとても滑稽に見えています。しかしこの日本人の奇妙な集団行動も予測できない災いへの恐怖心から出た信仰心と言えるでしょう。現代大半の日本人は自然災害への恐怖より、病気・怪我・交通事故などの災難、入試・採用試験の不合格、良縁に恵まれないことなど「個人的な不運不幸に遭遇すること」を恐怖と感じています。これらは小規模で個人的な災いのわけですから、お守りやお札を購入するというとても安価な犠牲を払うことで災いを引き起こす神々をなだめたことになるようです。これらで解決できない場合は新興宗教に頼るという選択肢を取る日本人がなんと多いことでしょう。
●日本で現在問題視されているいくつかの新興宗教があります。これらの宗教の教理にも災いを起こす超自然的存在があると説かれています。その災いから逃れさせるために信者に多くの犠牲を払わせることが大きな問題となっています。その犠牲とは特に金銭であり、また自分の家庭でもあります。幸いを作り出すはずの宗教や信仰心が逆に家庭を崩壊させまた人生を破滅に陥れるのではまさに本末転倒です。
●ところが新興宗教でなくても私達は様々な信仰を産み出してしまっていることに気づいていません。その一つが「学歴信仰」です。欧米では約70%の青年が「一般教養を身につけることや自分の才能を伸ばすこと」を大学進学の目的としています。ところが日本・中国・韓国では「学歴や資格を得る」が50%を超えるのです。「高学歴は将来豊かな生活を約束してくれるもの。したがって高学歴を手に入れなければ不幸せになる。」と信じ込まされているのです。この学歴を得るために親は骨身を削って自分の人生を犠牲にしています。また子供たちは心身や貴重な時間を犠牲にしています。ところが様々な犠牲を払って得た高学歴もその後豊かな人生をもたらすとは限らないのです。さらに高学歴信仰は 「上昇志向」 をさらに強く持たせるため今度は 「下に落ちることの恐怖心」 を抱かせるようになります。この恐怖心を払拭するためその後も果てし無い犠牲を人生に課すのです。
●私の幼馴染のM君は東大から有名銀行に入社し、かなり高位まで上り詰めた男性です。さらに良縁にも恵まれ子宝も。ところが40代後半その頼みにしていた銀行も吸収合併を繰り返すため、次第に銀行内における派閥争いが熾烈を極めていきました。地位や名誉を維持するためいよいよ彼は自分と家族に犠牲を強いる結果となっていくのです。彼の心労はいかばかりだったでしょうか。50代前半、突如心筋梗塞が発症し手当てが遅く、現役中でしたが突如亡くなってしまいました。葬儀の参列者は300名を超えていたとのことですが、果たして彼の死を悼む人間はどのくらいいたのでしょうか。こうした意味で考えると彼は高学歴信仰の犠牲者=生贄だったとは言えないでしょうか。
●この世の神々(宗教や信仰心)はみな、人間に犠牲を強いるものです。金品や時間や労苦を捧げる代わりに、脅威から守ると脅すのです。あるいはまやかしいの幸福をちらつかせては犠牲を強いるのです。自然に対する科学的な知識や、医学の進歩は、人間に降りかかる脅威を取り除いてきたはずです。しかし、恐怖心を抱かせるこの世の神々から抜け出すことができないのです。そればかりか新たな信仰心を次々に創造しては自らに犠牲を強いるのです。なぜ人間はこんなにも愚かなのでしょうか。
●現代科学や医学が進めば進むほど、自然や人間の体の正確で緻密なメカニズムの背景には創造主である神が存在すると理解できるはずなのです。また人類の悲惨な歴史に何度となく創造主が介入してくださったと知ることができる筈なのです。そんな慈愛に満ちた創造主が人間に犠牲を強いることなど決してあり得ないのです。創造主は私達の保護者であり養父です。自分勝手な人間の為に創造主は私達人間に代わって今もなお犠牲を払い続けておられるのです。
●自然の脅威よりももっと恐ろしい存在は「心に住み着く私たちの罪」であり、それは「神はいない」と断言する心のことを指しています。創造主は同時に救世主(メシヤ)でもあります。その救世主を閉め出しているのはあなた自身の心なのです。救世主が救いの手をのばしているのにその手を振り払っているのはあなたです。つまり「心に住み着く私たちの罪」の解決なしに私達は本当の救いを得ることができないのです。無意味な犠牲を強いているこの世の神々や不確定な信仰心から私達を解放する方は創造主ご自身です。イエスキリストは救世主です。養父である創造主が犠牲を払った過去の証拠がイエスキリストの十字架刑なのです。あなたは無意味な犠牲を今も払い続けていませんか。

聖書から抜粋
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
イザヤ書 53章5~6節